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2001年8月の作品
 野口 謙蔵「夕日の家とひまわり」


野口謙蔵(のぐち・けんぞう)
明治34年(1901)−昭和19年(1944)

「夕日の家とひまわり」 1面

油彩・画布
縦160.5cm × 横250.0cm
昭和10年(1935)制作
第4回東光会展 出品作

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 昭和10年秋の第4回東光合展に、野口謙蔵は「蓮とあさがほ」「泉水」「青田の朝」など都合6点を出品しましたが、本作品はそのうちでもずば抜けた大作で、ピンクの強烈な色彩が印象的な、極めて衝撃的な作品です。「青田の朝」が色線を多用しての、曲面的な構図へと移行してゆく過渡期的な作品であるのに対して、この作品は初期の謙蔵の作品に特徴的な、直線的な構図を重視した構成となっています。集落内の庭という狭い空間であるにも関わらず、見事なまでに奥行が表現されています。そして大胆なピンク系の色面を取り入れ、従来の謙蔵の色彩感を大きく飛び越えたものとなっています。

野口謙蔵について:
 謙蔵は明治34年(1901)6月、滋賀県蒲生郡桜川村綺田(かばた)に、野口正寛の二男として生まれました。大正8年(1919)に、彦根中学から東京美術学校西洋画科へと進み、伯母であった日本画家、野口小蘋(しょうひん)の娘小ケイのもとに下宿します。東京美術学校では最初、外光派の巨匠・黒田清輝の門下で指導を受けましたが、清輝の死により和田英作の教室に移り、その後は生涯を通じて英作を師と仰いでいます。
 大正13年(1924)、東京美術学校を卒業すると同時に、海外に留学する学友たちを尻目にして、謙蔵は郷里の綺田へ戻りました。この頃は自分の絵に自信がもてず、一時は本格的に日本画を学んだりもしましたが、昭和3年(1928)の第9回帝展に「庭」が初入選し、これによって制作上の迷いは払拭されました。第10回、第11回の帝展に連続入選した後、昭和6年(1931)の第12回帝展で、「獲物」が審査員会で賛否激論の末に特選に入りました。その後昭和8年(1933)の第14回帝展には300号の「閑庭」が2回目の特選に、翌9年(1934)には200号の「霜の朝」が3回目の特選で政府買上げとなるなど、順風な道を歩みました。「油絵による日本画」と評される、彼独自の東洋的な画様式を完成したのもこの頃です。また昭和9年には「東光会」を結成、その創立会員として制作のかたわら、後進の指導もしました。
 昭和18年(1943)に発病し、翌年7月5日に43歳という若さで生涯を閉じるまで、故郷の風物を愛情を込めて作品に描き続けました。