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2001年5月の作品
 冨田 溪仙「宇治川之巻−木幡−」


宇治川之巻−木幡−冨田 溪仙(とみた・けいせん)
明治12年(1879)一昭和11年(1936)

「宇治川之巻−木幡−」(部分)

軸装  絹本著色
縦50.4cm × 横524.6cm
大正4年(1915)制作

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 富田溪仙は、大正3年(1915)の日本美術院再興に、関西から参加した一人です。再興第2回院展に溪仙が出品した作品が「宇治川之巻」4巻であり、そのうちのひとつがこの作品「木幡」です。ちなみに他の3巻のうち、「宇治橋」と「伏見」の2巻は京都市美術館の所蔵となり、現在もそこで鑑賞することができます。明治45年の第6回文展に出品した「鵜船」あたりから、溪仙の作品は奔放な作風へと変容を遂げていますが、この作品では緑を基調とする明るい色調で、茶摘みの近づいた初夏の田園風景を捉えています。この作品の出品後、溪仙は日本美術院同人に推挙されました。

冨田 溪仙について:
 冨田溪仙は明治12年(1879)、福岡市で生まれました。最初、狩野(かのう)派の画家・衣笠探谷に師事して、のちに京都に出て都路(つじ)華香に師事しています。絵画共進会や新古美術品展などに出品を重ねて地歩を固めてゆきますが、一時、キリスト教や禅に傾倒して、放浪生活などを続けたこともあります。また、台湾や中国に旅して新しい画境を開き、「鵜舟」などを発表しました。日本美術院の再興に向けて奔走する横山大観に同意し、大正3年(1914)に開かれた第1回再興院展に「鼎峠行人」を発表し、第2回展に「宇治川之巻」を出品して、日本美術院同人に推挙されました。以後「風神雷神」「南泉斬猫・狗子仏性」「嵯峨八景」「列仙」などを院展に出品しました。
 溪仙はまた、フランスの詩人クローデルとの交友や、文人画家・仙崖の研究など、多彩な活動を行ったことでも知られています。溪仙の作品は、顔料や墨を一気に塗ったような画面の荒々しさに特色があり、いわば「写実」ではなく「写意」を重視する、《近代的な文人画》と呼ぶことができるものです。それらは様式化された文人画風ではなく、その中に渓仙の個性が十分に発揮されたものとなっています。描く対象を、自己の中から湧出する様式のなかでいかに表現するかという近代的な意識と、正面から取り組んだ証拠であると言えましょう。昭和11年(1936)、京都にて死去しました。