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2001年1月の作品
 冨田 溪仙「雲上鶴図」


雲上鶴図冨田 溪仙(とみた・けいせん)
明治12年(1879)一昭和11年(1936)

「雲上鶴図」

屏風装2曲1双  絹本著色
(各)縦167.2cm × 横184.6cm
昭和10年(1935)頃制作

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 寒色系の淡彩を基調として描かれた、爽快な印象が強い作品です。屏風各隻の両端には、意匠化された松が配され、空には鶴の群れが乱舞しています。縁起の良いモチーフを描いた、一種の吉祥画ですが、溪仙の強烈な個性は、それを一般的な吉祥画として留めることを許しません。円運動を中心とした構図の面白さがこの作品のポイントとなっており、その配色もそれまでの溪仙の作品に比べて穏健さを増しており、おそらく晩年の作品(昭和10年頃)であると推測されます。

冨田 溪仙について:
 冨田溪仙は明治12年(1879)、福岡市で生まれました。最初、狩野(かのう)派の画家・衣笠探谷に師事して、のちに京都に出て都路(つじ)華香に師事しています。絵画共進会や新古美術品展などに出品を重ねて地歩を固めてゆきますが、一時、キリスト教や禅に傾倒して、放浪生活などを続けたこともあります。また、台湾や中国に旅して新しい画境を開き、「鵜舟」などを発表しました。日本美術院の再興に向けて奔走する横山大観に同意し、大正3年(1914)に開かれた第1回再興院展に「鼎峠行人」を発表し、第2回展に「宇治川之巻」を出品して、日本美術院同人に推挙されました。以後「風神雷神」「南泉斬猫・狗子仏性」「嵯峨八景」「列仙」などを院展に出品しました。
 溪仙はまた、フランスの詩人クローデルとの交友や、文人画家・仙崖の研究など、多彩な活動を行ったことでも知られています。溪仙の作品は、顔料や墨を一気に塗ったような画面の荒々しさに特色があり、いわば「写実」ではなく「写意」を重視する、《近代的な文人画》と呼ぶことができるものです。それらは様式化された文人画風ではなく、その中に渓仙の個性が十分に発揮されたものとなっています。描く対象を、自己の中から湧出する様式のなかでいかに表現するかという近代的な意識と、正面から取り組んだ証拠であると言えましょう。昭和11年(1936)、京都にて死去しました。