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岸 竹堂(きし・ちくどう)
文政9年(1826)一明治30年(1897)
「月下吼狼図」(げっかこうろうず) 1幅
絹本著色・軸装
縦131.2cm × 横51.2cm
明治27年(1894)頃制作
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竹堂は虎の絵を得意としていますが、これは珍しくも狼を描いた鬼気迫る作品です。月光に輝く草原で、一匹の狼が身体をくねらせて、何ものかを鋭いまなざしで凝視しています。この絵の制作年代は不明ですが、竹堂の作品には明治20年代後半の、とくに明治27年頃の年記がある狼図の下絵が多く残っているため、この作品もおそらくその頃の制作と考えられます。下地に淡墨を刷き、月には薄く金泥をかけて、その周りにプラチナを塗って淡い月光の輝きを見事に表現しています。さらに狼の口の中の黒ずんだ赤色は、布の裏から鮮やかな朱をさし、表から薄墨をかける「裏彩色」という凝った技法によるもので、高度な技巧を駆使しての描写が注目されます。
岸 竹堂について:
岸 竹堂は文政9年(1826)、近江国彦根藩に藩士の子として生まれました。若くして才覚をあらわし、10代後半に地元の画家・中島安泰や、京都で狩野永岳などの画家について狩野派の絵画を学びました。のち、京都の円山四条派をのひとつである「岸派」の画家・岸連山に師事することになりました。連山の没後は岸家を継いで、京都で名をなしましたが、明治維新後は日本画の衰退によって、岸派は没落することになりました。しかし竹堂は、様々な博覧会や絵画共進会などで積極的に活躍し、京都府画学校にも出仕するなどして、文字通り明治前半期の京都画壇を代表する日本画家の一人となりました。
竹堂の作風で注目されるのは、明治初期という早い時期に、遠近法や陰影法などにおいて西洋画の取り込みを積極的に行ったことにあります。明治9年(1876)の「大津・唐崎図」や、晩年の「東山全景図」などに、特にその傾向が強く現れています。また、岸派という流派は創始者の岸駒以来、虎を中心とする走獣画、動物画を本領としていましたが、竹堂は師の絵をそのまま真似るのではなく、写生を基礎に据えた近代的な描法によって、新しい動物画や花鳥画の世界を開拓して、京都画壇の基礎を形成したのです。それらの功績により、竹堂は明治29年(1896)に帝室技芸員に任命されましたが、翌年、胃病によって惜しまれながら他界しました。
なお、当館では昭和62年(1987)4月に、「岸竹堂展」を開催して、その画業を顕彰いたしました。