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2000年5月の作品
 野口謙蔵「五月の風景」


五月の風景野口謙蔵(のぐち・けんぞう)
明治34年(1901)−昭和19年(1944)

「五月の風景」 1面

油彩・画布
縦130.0cm × 横161.7cm
昭和9年(1934)制作
第3回東光会展 出品作

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 野口謙蔵は、滋賀県蒲生郡桜川村(現在の蒲生町)に生まれ、生涯故郷蒲生野の自然や人々の暮らしなどを、愛情込めて描き続けた、滋賀県随一の洋画家です。この作品は昭和9年に制作され、翌10年の第3回東光会展に「初冬の一隅」などともに出品された作品です。黒々とした大地は、麦の青々とした緑で覆われ、ねぎぼうずなども描かれています。その大地と青空の間には村の集落が描かれ、こいのぼりも上がっています。視点を低く取って奥行きを表現しており、また色彩は寒色系を基本に、青と緑の色彩によって画面を上下にうまく二分しています。謙蔵の作風が移り変わる過渡期にあって、大胆な色面による表現を用いて雄大な風景画に仕上げた優作です。

野口謙蔵について:
 謙蔵は明治34年(1901)6月、滋賀県蒲生郡桜川村綺田(かばた)に、野口正寛の二男として生まれました。大正8年(1919)に、彦根中学から東京美術学校西洋画科へと進み、伯母であった日本画家、野口小蘋(しょうひん)の娘小ケイのもとに下宿します。東京美術学校では最初、外光派の巨匠・黒田清輝の門下で指導を受けましたが、清輝の死により和田英作の教室に移り、その後は生涯を通じて英作を師と仰いでいます。
 大正13年(1924)、東京美術学校を卒業すると同時に、海外に留学する学友たちを尻目にして、謙蔵は郷里の綺田へ戻りました。この頃は自分の絵に自信がもてず、一時は本格的に日本画を学んだりもしましたが、昭和3年(1928)の第9回帝展に「庭」が初入選し、これによって制作上の迷いは払拭されました。第10回、第11回の帝展に連続入選した後、昭和6年(1931)の第12回帝展で、「獲物」が審査員会で賛否激論の末に特選に入りました。その後昭和8年(1933)の第14回帝展には300号の「閑庭」が2回目の特選に、翌9年(1934)には200号の「霜の朝」が3回目の特選で政府買上げとなるなど、順風な道を歩みました。「油絵による日本画」と評される、彼独自の東洋的な画様式を完成したのもこの頃です。また昭和9年には「東光会」を結成、その創立会員として制作のかたわら、後進の指導もしました。
 昭和18年(1943)に発病し、翌年7月5日に43歳という若さで生涯を閉じるまで、故郷の風物を愛情を込めて作品に描き続けました。


野口謙蔵の作品は、今年(平成12年)9月5日(火)から10月29日(日)まで開催される常設展示『野口謙蔵と滋賀の洋画』において多数公開されます。
滋賀の風土を愛した謙蔵の作品を、この機会にぜひご覧下さい。